男は女と性交したいがために(そのプレゼントとするために)、狩りをするようになり、肉を食べるようになったのではないか、と人類学者は考えている。
チンパンジーは、集団内に発情したメスがいる場合にのみオスが狩りを行うが、いない時にはオスはメスに興味を示さず狩りも行わない。
しかし人間の場合には、女性はいつでも発情している。というと言葉は悪いが、一年を通していつでも妊娠可能である(これは動物界においてまれなことであり、このヒトのメスの特殊性の合目性に関してはいずれまた)。
その結果、男性は常に(一年を通して)意中の女性(恋人、妻)に対して、興味を失わないし、その女性に近づこうとする男に対しては激しく攻撃することになる。
その結果、強い恒常的な絆が男女間に築かれて、それが結婚、家族という形態を産み出した。
もし、女性がクマのように、年に一度しか発情しなかったならば、人類には今見られるような家族(お父さん、お母さんがいて子供がいるという)が存在しなかった可能性が高い。
そして男女の分業が、この男性が女性に「お肉をプレゼントする!」という行為から生まれた。
現存する多くの狩猟民族のほとんどは男性が狩りを行う一方で女性はしない。
その間、女性は木の実を集めたり、芋を掘ったりという採集活動を行うことになった。
これが人間社会に見られる男女の分業に繋がったのではないかと、学者は考えている。
男性は外で働き、女性が家庭を守るというこの旧来のシステムは生物学的な必然的帰結、要請から生じたもので、本来、男性が女性を家に縛り付けておくためのものではない。
この綿々と続いてきた男女の分業は、男性社会における女性蔑視、から来ているものでは本来ないのだ。
しかし、これが男女にとって一番よいシステムであると言うつもりはないし、現代社会における共稼ぎで女性が積極的に社会活動に参画することはとてもよいことだと個人的には思う。
しばしば、生物学的な理由でそうなっているものが、人類の文明化によってそのシステムが変革を余儀なくされるという例には枚挙の暇がない。
典型は、同性婚。
生物学的に言えばなんら生産的と思えないこの結婚を社会は認めようとしている。
これは人間性の進歩(人の多様性を認めることこそ進歩と言えよう)があったらばこそ。
戦争もそう。
第二次世界大戦当時、非戦闘民に対しての無差別な殺戮は、空襲や原子爆弾という形で顕現し、それは国際的に許されてきた。
しかしその後、その非人道的な行為は忌避されるようになってきた。
アメリカがイラクでの誤爆で民間人を殺せば世界的に非難される。
このように、文明とともに人間の意識は変化する。
男女(夫婦)の分業にかくあるべきという枠はなく、個々の夫婦で各々がもっとも自然に振舞える形態を模索すべきである。
といいながらも、女性が「産む性」であるという厳然たる事実は女性の有り様を縛る拘束具となっている。
男性は女性に子供を身籠らせて、産ませて、育てさせて、一方的にその負担を女性に押し付けていることに関して、それが生物学的に仕様がないこととは言え、負い目に感じて女性に感謝すべきである。
仕事を持つ女性が、仕事と出産育児の両立の難しさから子供を諦めるような社会は男女にとって不幸な社会である。
女性が出産、育児を終えて、ちゃんと職場に復帰できるような社会的、会社的環境を整えることは急務である(その急激な社会的変革がここ数十年のことであるとしても)。
いつもニコニコ仲良し磯野家 (・∀・)ノ
0 件のコメント:
コメントを投稿