2013年9月27日金曜日

なぜ人類は美形ぞろいにならないか?

クジャクのオスの飾り羽がきれいなように、もしある生物の異性の好みが性淘汰を促すならば、そのように生物は徐々に変わっていく。

人間が結婚相手として異性を選ぶ際に、顔の好みで選び続けていたら、男も女も美形ぞろいになる筈。

しかし、現実は…

なぜそうならないのか?

という質問を以前、学生から受けた。

竹内久美子の理屈ではこうだ(『そんなバカな!』より)。

お母さんが美形であるとする。

すると生まれてくる子(ここでは男の子を思い描く)は、その美しい慣れ親しんだお母さんがデフォルト(初期設定)になる。

すると、どうしても女性に対しての審美眼が厳しくなって結婚がままならない。

加えて、美形のお母さんをえらんだ父の「面食い遺伝子」をもつ。

つまり、お母さんが美形であるということ、父の「面食い遺伝子」が息子の繁殖を妨げている。

せっかくある程度息子に受け継がれた美形遺伝子がかえって広がりにくい。


ここまでの竹内久美子の理屈にはかなり無理がある。

(1)母が美形遺伝子を娘に渡したら、娘もより苦労なく結婚して子供をつくることができるだろう。

(2)母が美形遺伝子を息子に渡した場合にも、息子が美形なら苦労なく結婚して子供をつくることができるだろう。もし「面食い遺伝子」をもっていたとしても、自分も美形なら、相手を選ぶ際にデメリットになるとは思われない。


ここで、クジャクと人類を比べて議論する際、もっとも忘れてはならないのは、クジャクは一夫多妻制だし、人類は一夫一妻制

鳥類の研究で明らかになっているように、一夫一妻制の動物の性淘汰による進化はあまり進まない。なぜならば、全てのオスとメスが遺伝子を残すことが原理的には可能だから。

つまり、人類がいわゆる美形ぞろいにならないのは、人類の一夫一妻制がじゃましているから、と結論してよい。

こう考えると、一夫一妻制は、性淘汰を弱めることで、その動物種の多様性を狭めにくいと言える。

いろいろな顔(それ以外の形質)があってこその、人類の多様性である。

あまりピンポイントの形質で異性を選ぶのは生物としてはどうかと思う。

特に、人間は他の動物と違って、高度に将来を予測することができる。

顔立ちよりは、相手の性格とか、相手の価値観とか、相手の年収とか、考慮しなくてはいけないファクターは多い。

クジャクは一回交尾したら、オスメスは「ハイ、サヨウナラ」だが、人間の夫婦はそうはいかない。生物種としては、破格に長い時間、連れ添わねばならない。


美形揃いの女子アニメは一夫多妻制の世界ということか笑
カーニヴァル



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