著者の竹内久美子は「ハゲは女性に嫌われることにこそ意義がある」と逆転の発想で持論を展開する。
とりあえず彼女の言い分を聞こう。
ハゲは、女性に好かれない。
しかし、昔は男女とも十代で結婚していた。
そのため、その当時は、男のほとんどは若ハゲで結婚を逃すこともなかったろう。
そして、三十代で若ハゲになったとしても、すでに子づくりは十分終わっていた。
つまり、男性が少なくとも若ハゲで悩むようになったのは人間が晩婚化した、ついここ数十年の話である。
そして、竹内曰く、子づくりが一段落したその後にハゲて女性に嫌われることに意味がある。
ハゲは男性ホルモンの多い男性の方がなりやすく、そういう男性は妻以外の女性に手を出しやすい。
もし男性ホルモンが高く、女性にも本来モテやすそうな男性ならば、余所に子供をたくさんできかねない。
すると、本来の妻との間の子供に加えて、それらの子供たちも扶養しなくてならなくなる。
その結果、子供一人当たりへの投資(食料等)が減ってしまい、結局、どの子供も十分に育つことができなくなってしまう。
人類はかつて狩猟採集の動物であり、肉が蓄えられない資財のため、一人がたくさんの子供を養育することはできなかったため。
貧富の差が拡大して、部族内に王ができたのは農耕民族になってから(王はハーレムを持ちたくさんの妻とたくさんの子供を養えた)。
つまり、人類の長い歴史の中で、男性ホルモンが多く若い時にはモテた男性ほど、中年になったらハゲて女性にモテなくなり、その結果は、その遺伝子は適正量(養える限度)の子供に伝えられた、のではと竹内は考える。
その論でいけば、
(1)男性ホルモンの高い男性
若い時にはモテて早くに妻を娶り子供をつくる → 中年になってハゲて女性には嫌われるようになり余所での子づくりが難しい。
(2)男性ホルモンの低い男性
売れ残るがそのうちに結婚できて子供をつくり始める(多分年下の女性と) → 中年になってもハゲずに妻との間に子づくりを続ける
結局のところ、どちらの場合も残せる子供の数はたいして違わなかったかもしれない。
しかし、しかし、だ。
男性ホルモンの多い男性がそのままハゲずにモテつづけても、本当に子供を養えずに子供が本当に共倒れしたであろうか?
もし他人の奥さんと浮気して子供ができてしまった場合にも、今と違って血液型やDNA鑑定で親子の真偽が疑われることはなかった(当の女性にもどの男性の子供かは分からない)。
つまり、自分の懐を痛めることはなく、他の旦那に自分の子供を育てさせることも可能なのである。
そのため、スーパーかっこいい男性が年をとってもかっこいいままならば、結局は残せる子供の数は多くなったはずだ。
ということで、なぜ男性にハゲが存在するのか、自分にとってその合目性にいまだに納得のいく学説はない。
就活生の君、望みを何でも叶えてあげるよ!
これはおトクだ!!