血縁者以外にも食物を分け合うことは人間の普遍的習慣であり、なかでももっとも頻繁に分ち合うのが肉であることに、人類学者は以前より気付いていた。
なぜ、栄養価の高い肉を惜しげもなく分け与えるのか?
この一見、利他的な行動の理由としては
(1)肉が一度に自分たちだけでは食べ切れないくらい大きな塊として得られること。
大型の動物を仕留めた時には、一時に大量の肉が得られる。
到底、自分や自分の家族だけでは食べ切れないくらいの。
ベネズエラのヤノマモ族は、森で捕えた大型の動物は分け合うが、小動物は分け合わない。パラグアイのアチェ族は、イノシシを捕まえた時にはその9割を他人に分け与えるが、小さなアルマジロを捕えた時には分配する比率が小さくなる。オーストラリアのティウィ族も、大型の獲物は8割を他人に分け与えるが、小型の獲物では2割しか分けない。
(2)肉は腐りやすい。
肉は腐りやすいので食べ残しは腐ってしまう。
大量にバナナが取れてもベネズエラのヤノマモ族は他人に分けない。植物は腐りにくいのに対して、肉は置いておいても腐ってしまう。
どうせ腐らせるくらいなら、他人に分けようということ。
(3)見返りを期待して。
ここで思い出して欲しいのは、先日紹介した吸血コウモリの例である。
吸血コウモリは、もし獲物を見つけて血を吸えた時には、必要量以上に血を吸ってねぐらに帰り、獲物を見つけ損ねてお腹を空かせている友達に分け与える。
それはちゃんと見返りを期待しての行動だった。
人間も同様。自分もいつも肉が取れるとは限らない。
困った人を助けれおけば、自分らが困った時に助けてもらえる。
(4)肉は栄養価が高い。
肉を他人にプレゼントするということは特別な意味合いをもつ。
それは肉が栄養価の高い「御馳走」だからである。
その御馳走を惜しげもなく分け与えることこそ、(3)で言う他人との互恵関係を築くには最適なのである。
そう、肉は人類愛を実現するための絆、紐帯になっていたのだ (^o^)/
肉こそ正義!
セイバーライオン
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