2013年8月5日月曜日

男の話にはオチが必要、その訳

女性の愚痴には結論は要らない、と先日述べた。

一方、男は会話に結論や解決を求める。

以前、ブログで採上げたように、進化的な観点から言えば、男性の話す能力は社会的な地位を確保するために磨かれてきた節がある。

オオカミもそうだが、集団で狩りをする動物には上下関係がある。

狼さん


狩猟種族であった人間の男にも勿論、集団内での地位があったであろう。

そのようなタテ社会において、相手と議論して問題を解決するためには、理詰めで相手を説き伏せねばならないことも多々あったはず。

男にとっては、話すことは自分を誇示するための戦いでもある。

その典型を、政治家や革命家のアジテーションに認める。

だから、男は話をしていてもそれに理屈をつけて解決を図りたがるし、相手を論破しようともする。

勿論、男同士で飲み屋で愚痴をこぼし合うこともある。

その場合、解決に至らなくとも愚痴を言うことで溜飲を下げストレスを軽減をするのはその通り。

しかしその場合でも男性は、ただ愚痴を言い合ってもそれでは生産的ではないと知っていて、虚しい…と自戒する。

できれば、解決策のヒントが欲しいのである。

こうした、男女の違いがあるので、男女が自分の気持ちに素直になって話をしても、すれ違い、ストレスが溜まるのは無理からぬこと。

指向の回路が違うのだから。

世の中には解決しなくてもいいものがある
ジョジョ風コナン

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