旱魃になると巫祝長である王は雨乞いをして、雨が降ればいいが降らないときには焼き殺された。
それを表しているのが、「饉」のような字に残されている。
今回は、それに関連した字。
漢文で「而うして(しこうして)」と使われる「而」。
これは頭髪を切って結髪していない巫祝を表している。
接続詞としての使われ方は仮借(かしゃく)である。
「仮借」とは、その語を表す字がないため、既存の同音あるいは類似音をもつ字を借りて表記することをいう。当て字の一種。
例を挙げると、「我」は、矛の一種を表す字であったが、仮借により「われ」を表すようになった。
ちなみに中国人は、漢字を忘れて書けない時にどうするのか?
日本人なら、ひらがなで逃げられる。
そういう時、中国人は仮借で逃げる。同じ音の簡単な漢字を当てる。
関連として「需要」の「需」。訓読みでは「もとめる」。
これは巫祝が雨乞いしている、雨をまつ、もとめるという意味に。
そして、「儒教」の「儒」は元々は雨乞いをする巫祝のこと。
儒者は雨乞いに関わる下級の巫祝だった。
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