遺骨が見つからなかったのは、第四皇女、アナスタシア・ニコラエヴナ・ロマノヴァ(それと王子アレクセイ・ニコラエヴィチ)。
家族と共にわずか17歳の若さで銃殺されたとされた。
アナスタシア
しかし、この後、われこそはアナスタシアだ、と名乗るものが相次いだ。
と言うのも、監禁中の皇帝一家は、皇帝一家を奪回しようとする反政府勢力の企てを恐れたレーニンの命令によって殺されたのだが、ソ連政府は民衆の非難を恐れて、皇帝と王子は処刑したが、皇后と皇女は安全な場所に非難させた、と嘘の発表を行ったからだ。
そう名乗り出てきた人物に対しても、当時はDNA鑑定などなく、絶対にそうだとも違うとも言えないケースもあった。
その中でもっとも確からしかったのは、アンナ・アンダーソンだ。
彼女は記憶喪失を煩い、意図的な詐称というより、一種の虚偽記憶であろうと思われるが、自分はアナスタシアであると言い続けた。
彼女は後にアメリカに渡って1984年まで生きた。
しかし、その当時もまだ白黒ついていなかった。
彼女が死んだ後、彼女が手術で切除した小腸が保存されていたところから、そこからミトコンドリアDNAが抽出されて、ロシア皇族関係者のそれと比較され、初めて彼女がアナスタシアではないことが明らかになった。
ソ連崩壊後、この2人は遺体をバラバラに切断され、焼却されたという残酷な事実も明らかになった。
処刑された一家はガソリンをかけて火葬する予定で、アナスタシアとアレクセイが燃やされたのだが、うまく燃やせなかったため、残りの遺体は穴の中に埋められたのだ。
そのために、掘り出された遺骨の中にアナスタシアとアレクセイの遺骨は入っていなかったのだ。
証言通り、2007年8月にエカテリンブルク近郊でアナスタシアとアレクセイのものと思われる遺骨が発見された。
それにしても、これまでにヨーロッパで王朝が倒されたことは幾度もあったが、女性も含めて一家全てが処刑されたのは極めて異例で残酷な歴史であった。
かのフランス革命でも、子供達は処刑されていない。
アントワネットが処刑されたのは自業自得の一面もあるけれど
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