なぜ男がこの世に存在する必要があるのか?
という問 (勿論、生物学的意味で)が唐突と感じなかった人は、いい線いっている。
という問 (勿論、生物学的意味で)が唐突と感じなかった人は、いい線いっている。
なぜ性があるのか?
と問い直そう。
つまり、「なぜ男がこの世に存在するのか?」という問いと「なぜ性があるのか?」という問は同義なのである。
あのマリアさまが行った奇跡「単為生殖」(処女懐胎)。
男と交わらないで子を為す。
しかし、これは生物界を見渡せば奇跡でもなんでもない。
そのような生物は自然界に巨万といる。同じ脊椎動物でもトカゲの仲間はメスだけで卵を産むこともできる。アブラムシ(アリマキ)も食べ物が豊富にある時はメスだけで子を産んで増える。
オスは要らない。
植物では、ジャガイモの塊茎、チューリップの球根、ヤマイモのむかご、竹の地下茎なんぞは当たり前。
子孫(自分の遺伝子)を数ふやすという点においては単為生殖のほうがはるかに効率がよい。
なぜならば
(1)子供を産まないオスが半分もいる有性生殖(オスメスで子をなす)の効率は半分。自分の子供が全員メスで、メスだけで子供が作れるなら孫は二倍になる。
(2)自分の遺伝子を全て子供に伝えられる。有性生殖では自分の遺伝子の半分しか子に伝わらない。孫に至っては自分の1/4の遺伝子しか伝わっていない(それなのに孫は可愛いらしい)。
ここまでを考慮すると、子供を二人ずつ作ると仮定すると
無性生殖では子の代には、1 コピー × 2人=2 コピー の遺伝子が残る。
孫の代には1コピー × 2^2 (2の2乗) =4 コピー の遺伝子が残る。
有性生殖では子の代には、1/2 × 2人=1 コピー の遺伝子が残る。
孫の代には、1/4 × 2^2 =1 コピー の遺伝子が残る。
常に1コピーが残るのみ。
さらに、
(3)異性とつがうまでにかなりのエネルギーと時間を費やす。
という過酷さを加点したら、絶対的に遺伝子残すなら、単為生殖! ということにある。
ではその有性生殖のデメリットを凌駕するメリットとは?
無性生殖は遺伝子的に均一な「クローン」で子孫を増やすことに他ならない。
遺伝子丸々を子に伝えるということはそういうことである。
つまり、ヒトで言えば、自分と全く同じコピー人間をどんどん産むということ。
それに対して、有性生殖は個体同士の遺伝子が常に世代更新の時に混ざり合う。
「みんなちがって、みんないい」
これが感覚的なことに留まらず、生物学的に言ってもそうなのである。
違う事がよいのだ。
今もっとも有力な仮説は、病原菌との果てしない戦いが有性生殖を進化させたというものである。
病原菌、特にウイルスの変異の早さはハンパない(これの原因についてはいずれまた)。
もし、ある個体にかかりやすい病原菌が出現したとき、もし同じ遺伝子をもったクローンだと全ての個体が次々と感染し全滅しかねない。
19世紀初頭アイルランドを襲った病原菌によるジャガイモの全滅による大飢饉。600万以上いた人口が飢餓と海外脱出で半減した。これは単一品種しか栽培されていなかったため、遺伝的に均一だったことが病気の拡大を促したといわれている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/ジャガイモ飢饉
人類ももし単一のクローン家系しかいなければ、とっくに病原菌にやられてしまっていたことだったろう。
生物は病原菌との戦いのために次々に多様性を獲得せざるを得ない。変りつづける、走り続けなければ、病原菌という鬼につかまってしまう、鬼ごっこなのである。これは「赤の女王仮説」と呼ばれる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/赤の女王仮説
これまで地球上に誕生した生物の99.99%は絶滅したとどこかで読んだが、この中には、勿論気候の変化についていけなかったもの、生物間の生存競争に敗れたものもいたろうが、この病原菌との赤の女王仮説が正しければ、病気により絶滅した種も相当数いた筈だ。
有性生殖では半分の遺伝子をランダムに子供に伝えるので(ヒトでは23対ある染色体の1対を子にランダムに渡す)、子に伝えられる遺伝子はそこで多様性を獲得する。そして、異なる遺伝子組成の異性と遺伝子を混ぜ合わせて子供をつくる。同じ夫婦であろうとも、偶然に同じ遺伝子をもつ兄弟が生まれる事はなく(一卵性双生児でなければ)、子孫に多様性がこのようにもたらされる。
話しを戻すと、結論、オスは要る!
平時の時(病気が流行っていない時)には無駄な存在だが、いざという時(病気が流行った時)には頼りになる用心棒、的な。
男は、女をいざという時(病気対策)のために守る番犬に過ぎない。
メスが雇い主で、オスは雇われ用心棒。
しかし、どんな番犬を飼うかで女の人生も変わる。
忠犬は大事、かわいがってあげて欲しい。
と問い直そう。
つまり、「なぜ男がこの世に存在するのか?」という問いと「なぜ性があるのか?」という問は同義なのである。
あのマリアさまが行った奇跡「単為生殖」(処女懐胎)。
男と交わらないで子を為す。
しかし、これは生物界を見渡せば奇跡でもなんでもない。
そのような生物は自然界に巨万といる。同じ脊椎動物でもトカゲの仲間はメスだけで卵を産むこともできる。アブラムシ(アリマキ)も食べ物が豊富にある時はメスだけで子を産んで増える。
オスは要らない。
植物では、ジャガイモの塊茎、チューリップの球根、ヤマイモのむかご、竹の地下茎なんぞは当たり前。
子孫(自分の遺伝子)を数ふやすという点においては単為生殖のほうがはるかに効率がよい。
なぜならば
(1)子供を産まないオスが半分もいる有性生殖(オスメスで子をなす)の効率は半分。自分の子供が全員メスで、メスだけで子供が作れるなら孫は二倍になる。
(2)自分の遺伝子を全て子供に伝えられる。有性生殖では自分の遺伝子の半分しか子に伝わらない。孫に至っては自分の1/4の遺伝子しか伝わっていない(それなのに孫は可愛いらしい)。
ここまでを考慮すると、子供を二人ずつ作ると仮定すると
無性生殖では子の代には、1 コピー × 2人=2 コピー の遺伝子が残る。
孫の代には1コピー × 2^2 (2の2乗) =4 コピー の遺伝子が残る。
有性生殖では子の代には、1/2 × 2人=1 コピー の遺伝子が残る。
孫の代には、1/4 × 2^2 =1 コピー の遺伝子が残る。
常に1コピーが残るのみ。
さらに、
(3)異性とつがうまでにかなりのエネルギーと時間を費やす。
(4)その上、下手して異性を獲得できなければ子が生せない。あぶれたらアウト!バッドエンド。
ではその有性生殖のデメリットを凌駕するメリットとは?
無性生殖は遺伝子的に均一な「クローン」で子孫を増やすことに他ならない。
遺伝子丸々を子に伝えるということはそういうことである。
つまり、ヒトで言えば、自分と全く同じコピー人間をどんどん産むということ。
それに対して、有性生殖は個体同士の遺伝子が常に世代更新の時に混ざり合う。
「みんなちがって、みんないい」
これが感覚的なことに留まらず、生物学的に言ってもそうなのである。
違う事がよいのだ。
今もっとも有力な仮説は、病原菌との果てしない戦いが有性生殖を進化させたというものである。
病原菌、特にウイルスの変異の早さはハンパない(これの原因についてはいずれまた)。
もし、ある個体にかかりやすい病原菌が出現したとき、もし同じ遺伝子をもったクローンだと全ての個体が次々と感染し全滅しかねない。
19世紀初頭アイルランドを襲った病原菌によるジャガイモの全滅による大飢饉。600万以上いた人口が飢餓と海外脱出で半減した。これは単一品種しか栽培されていなかったため、遺伝的に均一だったことが病気の拡大を促したといわれている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/ジャガイモ飢饉
人類ももし単一のクローン家系しかいなければ、とっくに病原菌にやられてしまっていたことだったろう。
生物は病原菌との戦いのために次々に多様性を獲得せざるを得ない。変りつづける、走り続けなければ、病原菌という鬼につかまってしまう、鬼ごっこなのである。これは「赤の女王仮説」と呼ばれる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/赤の女王仮説
これまで地球上に誕生した生物の99.99%は絶滅したとどこかで読んだが、この中には、勿論気候の変化についていけなかったもの、生物間の生存競争に敗れたものもいたろうが、この病原菌との赤の女王仮説が正しければ、病気により絶滅した種も相当数いた筈だ。
有性生殖では半分の遺伝子をランダムに子供に伝えるので(ヒトでは23対ある染色体の1対を子にランダムに渡す)、子に伝えられる遺伝子はそこで多様性を獲得する。そして、異なる遺伝子組成の異性と遺伝子を混ぜ合わせて子供をつくる。同じ夫婦であろうとも、偶然に同じ遺伝子をもつ兄弟が生まれる事はなく(一卵性双生児でなければ)、子孫に多様性がこのようにもたらされる。
話しを戻すと、結論、オスは要る!
平時の時(病気が流行っていない時)には無駄な存在だが、いざという時(病気が流行った時)には頼りになる用心棒、的な。
男は、女をいざという時(病気対策)のために守る番犬に過ぎない。
メスが雇い主で、オスは雇われ用心棒。
しかし、どんな番犬を飼うかで女の人生も変わる。
忠犬は大事、かわいがってあげて欲しい。
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