まず偏の「黒」、旧字「黑」から説明すると、
それによって煤でものは黒ずむ。それで「くろ」。
「默」の字は音を「黑」(コク、ボク)から借りて作られた。
「默」は犬を犠牲にして喪に服すること。
喪に服している間は黙してしゃべることはタブーとされた。
古代中国では父が亡くなった時には三年間喪に服した。
漢字をつくった殷の武丁(ぶてい)は喪中の三年間全くしゃべらなかった。
宮城谷昌光 『沈黙の王』に詳しい。
儒教の最も重要な徳目である「孝」もここまでくるとスゴい!
中国では親に対する「孝」の方が主君に対する「忠」の上位に来る。
親を敵に人質に取られた場合、それによって敵に降伏したとしてもそれは当たり前のこととされた。
儒教とは孔子によって原始儒教が体系化されたもので、東アジア各国で影響力を持つ思想のこと。
その根本義は「仁」である。
儒教には五倫五常があり、五常は人に存する仁・義・礼・智・信の五つの徳を示し、五倫は父子の親、君臣の義、夫婦の別、長幼の序、朋友の信をいう。
ただし、あくまでも根本は仁であり、五常どれも仁の範疇を出るものではない。
仁は是非を明らかにした上で全てを包容するもので、明らかになるが故に義が生じ、人に節操(礼)が生じ、真理に通り(智)、守るべきもの(信)を知るのである。
五倫における父子の親も同様に全ての根本となる。
父子の親は孝であり、孝は親に対する仁である。
親子というのは全ての始まりであり、この始まりを尽せる人であってこそ、義・別・序・信がなる。
別というのは各々がその分を尽すことである。
これを節操といい、礼という。
そして人は長幼というものを知って尽すべきであるから、これを長幼の序という。
長幼というのは如何ともし難い天命であるが、人はこれを知って尽すことで命を自ら運んでゆくことができる(運命)。
http://www.kokin.rr-livelife.net/goi/goi_si/goi_si_5.html
一方、日本では江戸幕府や諸藩は儒教の一派の朱子学を積極的に奨励した。
君臣、身分の区別を大事にする朱子学が幕藩体制の維持に好都合だったから。
その際に「忠孝」の「忠」が「孝」の上位に置かれたが、それは親への孝が先に立つと国への忠が疎かになる場合もあるから(元々の中国の朱子学ではそうではない。)。
戦前の教育では国民は天皇陛下の赤子(せきし)として、親に尽す「孝」のごとくに陛下に「忠」を尽さなければならなかった。
上の命令は下の者にとっては絶対で逆らうことは許されない。
有名な「君君たらずとも臣臣たらざるべからず」(どんなに暗愚の上司であっても部下はちゃんと従わなければならない)とは孔子は言っておらず、この言葉はいいように戦前まで為政者に利用された。
そしてあの痛ましい太平洋戦争へと突き進んでいった。
全くしゃべらない寡黙さが魅力の助手さん
人類は衰退しました
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