2013年5月23日木曜日

利己的な遺伝子による利他的な行動(結論)


ここ数週間紹介してきた『徳の起源』(翔泳社、マッドリドレー著)の帯文には、

「利己的な遺伝子」で説明できない、人間の本性を「遺伝子功利主義」で解きあかす。

とある。





しかし、ブログに付き合っていただいた人にはお分かりなように、動物やヒトの利他的にみえる行動(多分、このことを「利己的な遺伝子」で説明できない、と言っているとおもうのだが)はすべて、「利己的な遺伝子」理論で説明がつく。

(1)人が血のつながっていない他人に親切にするのも助けるのも、人間関係(持ちつ持たれつの)を良好に保ち、自分の生存をプラスにするため。

(2)プレゼントをするのも、それを通して社会的な名声を得てそれを利用して、女性を口説きたいため(古典的な食べ物で女性を釣る笑)。

しかし、ここでちょっと待てよ!と疑問を差し挟むかもしれない。

① プレゼントは男性だけでなく、むしろ女性同士の方がプレゼントをし合うのでは?

その通り、しかし、これは(1)の理論で説明できる。もしA子さんがB子さんに誕生日プレゼントをしたのに、B子さんがA子さんにプレゼントのお返しをしなかったら、その結末は… はい、血を見るより、もとい、火を見るよりも明らか(笑)

② 匿名の善意はメリットがあるのか?

確かに。匿名の寄付とか。今度の東日本大震災のような誰が寄付したか分からない、と自分の名声にはプラスにならない。

と思える。

しかし、中国にはこんな諺がある。

陰徳陽報 

人知れず善行を積めば、必ずよい報いとなって現れてくるということ。

つまり、なんだ、結局は、自分(自分の家族)に良い報いがくることをねがって陰徳を積むのか、というオチ。

いやいや、自分はそんな利己的なことを考えて陰徳を積んでいるのではない!ケシカラン!と息巻く御仁もいるだろうが、まあ、話を聞いて欲しい。

孟子が人間性善説の根拠に挙げている

「もし、見知らぬ子供が井戸に落ちそうになっていたら助けてあげようとするだろう」

にしても、結局は(1)のケースに相当するが、その時、ヒトは打算的になって行動しているだろうか。

いや、そうではない。咄嗟に助けてあげる。そう、反射的に。それが本能なのだ。

遺伝子が恐ろしいのは、我々生物個体にそれと気付かれずに我々を操っているところ。

誰も遺伝子が見つかるまで、自分たちが遺伝子のマリオネット(操り人形)だなんてこれっぱかりも思っていなかった。

自分がそう思っていないところで我々の行動を操ることくらい遺伝子にとっては朝飯前。

自分は男の子だから女の子を好きになろうと思って、恋愛の対象を女の子に絞る!、なんてことはだれもしていない。

そういうものなのだ。

そういうことをしてきた個体の子孫なのだ我々は。

結論!、利己的でない利他的行動はあり得ない。


だからと言って、他人の親切を、自分の親切を、その価値をことさらに低く見ることは必要ない。

もしその善意に裏があったとしても(遺伝子が純粋にいいやつじゃなくても)、それはわれわれの人間社会の潤滑油としてはとても貴重な行動だ。

それができない人間に比べたら、人に親切にできる人間の方が百倍良い。

(明日からは別の話題を紹介する。話がどうしても世知辛くなって困る。スンマセン笑)

首を吊ろうとしている先生を見つけたら迷わず助けてあげて欲しい!
きっといいことがありますよ (^o^)/
絶望先生

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