2012年6月12日火曜日

呉越同舟の遺伝子たち

23,000もの遺伝子が「たまたま」同じ船に乗り合わせてしまっているのがヒトである。

この「たまたま」というのは語弊があるように感じるかもしれないが(なぜなら、後から乗り込んできた遺伝子はなく、先祖の生物が持っていた遺伝子があっちゃこちゃに進化したものだから)、しかし遺伝子の気分からしたら(そんな何億年もの履歴なんか知ったこっちゃない)「たまたま」なのだ。

ヒトがある国に生れ落ちたとき、それはそのお父さんとお母さん、おじいさん、おばあさん、と先祖がそこに住んでいたからこそ、そこに生を受けたわけであるが、それは本人にとってはたまたま生れ落ちたというのが偽らざる気持ちであろう。

何が言いたいかというと、
遺伝子にとって自分がどこから来たかは関係なく、今、自分のしたいように振舞う。


しかし一つの体の中で、羽根を生やして空を飛ぼうとする遺伝子群と、土の中を這いずり回ってミミズを探そうとする遺伝子群とが相争うことになってしまっては、その生物は引き裂かれてしまう。

つまり、一度同船してしまった遺伝子同士はその個体が引き裂かれないように、同方向を向いてともに走るしかない。


アメリカに行きたい客とオーストラリアに行きたい客が同じ船に乗り合わせてしまったら、仕方なくとも心を合わせるしかない。


DNAポリメラーゼがあればDNAは複製されるが、それを正確に複製するためには、それを補助するためには様々な酵素が必要である。

DNAの複製に直接関与していない遺伝子でも、その遺伝子が次の細胞にちゃんと受け渡されるために必要なものである。必要のないものはない(筈である)。


いくら名優の主役がいても主役だけでは舞台は務まらず、多数の脇役が舞台をサポートする。


涼宮ハルヒ(右から2人目)は世界を改変する能力を持っていてそれを無自覚に行ってしまう。
この世界が根本から作り直されてしまわないように、周囲の異能者達がそれを阻止するために力を合わせる(最終目的は異なっても)。生物個体が引き裂かれないように力を合わせる遺伝子はそんなイメージ。


多くの遺伝子があたかも会社の社員が一丸となって働くように遺伝子のコピーを増やすことに力を合わせる。個が全体に尽す事が個のためになる。つまり利己的な行動と言う訳だ。

しかし、全ての遺伝子は同じ重要度で働いているのだろうか?

極端な話し、働かずにただ乗りしている遺伝子(DNA)はないのだろうか?
(トランスポゾンはただ乗り遺伝子と言ってよいが)。

(次回へ続く)

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