2012年6月24日日曜日

役割語の役割

「わしの発見した遺伝子を欠損させたマウスを作製したところ、内臓逆位が起こることが明らかになったんじゃ」

とか話す大学教授に出会ったことは残念ながらまだない。

古いところでは鉄腕アトムのお茶の水博士を始め、マンガに出てくる、ある程度お年を召した博士達はおしなべてこのような話し方をする。

(お茶の水博士)

(ポケモン、オーキド博士)

(コナン、阿笠博士)


「おかあさま」、「わたくしはそれでもよろしくてよ」、「いいこと、つぎはちゃんとなさい」などと言い、「オホホ」と笑うお嬢様にも、身分の違いゆえか、出逢ったことはない(是非お近づきになりたいが、笑)。

(エースをねらえ!、お蝶夫人)

これらの「役割語」は、つくりものの中のつくりごとをそれらしく見せるお約束であり、登場人物にキャラ立ちさせるための方便である。

また「役割語」は当人が、自分をどう見せたいのかというペルソナ(自己の外的側面)でもある。


ガンダムユニコーンのミネバ・ザビも、素性が割れた後にしゃべる言葉遣いは王様然となる。
「私はミネバ・ザビである!」

(ミネバ)

日本語には豊富な一人称(ぼく、オレ、わたし、あたし)、語尾(だぜ、なの)も、相手との人間関係に極めて注意を払う日本人のペルソナの使い分けの多様性を表している。



これらの言葉遣いがどのようにして誕生して日本人の共有財産になっていったか?

それを解き明かそうとする金水敏著『ヴァーチャル日本語 役割語の謎』は好著。


http://www.amazon.co.jp/ヴァーチャル日本語-役割語の謎-もっと知りたい-日本語-金水/dp/400006827X/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1340324410&sr=8-1

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