遺伝子重複は偽遺伝子を生じる厄介な現象であるが、
しかしその反面、遺伝子重複は生物の進化の原動力にもなっている。
これは大野乾(すすむ)博士が提唱した。
『遺伝子重複による進化』は一読を是非勧めたい名著である(残念ながら現在絶版)。
『遺伝子重複による進化』は一読を是非勧めたい名著である(残念ながら現在絶版)。
(遺伝子重複による進化)
脊椎動物は魚類から陸棲動物になり進化する過程で、ゲノム(全遺伝子)全体が少なくとも二回程度倍加したと考えられている。
それによって、双子の遺伝子の片方にフリーハンドの余地が生じる。
そういう場合には、昨日話したように、大概は片方はグレて(変異して偽遺伝子化して)いずれゲノムからも消えてゆく。
しかし、その変異により遺伝子がたまたま別の役割を担うようになることが起き得る。
例えるならば、セブンブリッジでフルハースを崩してストレートフラッシュをつくる僥倖を期待するようなものである。
いや、もう少し軽微な変化、5, 6, 7, 8, 9のストレートで5を捨てて10を拾うような確率であるのかもしれない。それならば十分に有り得る。
進化というものは多くの個体がセブンブリッジを何億年もやり続けているようなもの。フルハースを少しずつ崩してストレートフラッシュができることくらいのラッキーは起こりえる。
ただし誤解を避けるために言うと、遺伝子は無目的に手札を替える。つまりストレートフラッシュをつくりたいと思って手札を替える訳ではないから、人間がトランプをやるよりずっとストレートフラッシュが揃う確率は小さい。
さらにフルハースからストレートフラッシュができる間の手札はブタである。
遺伝子も新しい機能を獲得する中間体が何かの役に立っているかに関してはケースバイケースであろう。
昔、こんな議論があった。鳥類の祖先に中途半端に飛べもしない羽があったとしてそれが自然淘汰に有意であったか?ということである。しかし、それは人間がまだ気付けないだけで恐らくそのような中途半端な表現型を示すと考えられているものに限って言っても、何らかのメリットはあったのだろう。
しかし、そんな勝手が許されるのも元本(もう一人の私)がいてくれるからである。
(Another、双子の見崎鳴と藤岡未咲)
同じ遺伝子が2つも3つも存在するというのは、無意味ではなく、新しい遺伝子を獲得するために重要である。
同じCDを鑑賞用、保存用、布教用に3枚買うことにも生物学的意義はある(笑)
(布教で意識のコピーが広がる)
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