そのこころは、はしらにゃならぬ。
と古くからあるように、松というと曲ったイメージがある。
白砂青松というように、防砂林、防風林として海岸沿いに積極的に人の手で松は植えられてきた。
この風のため松は極端に曲ってしまっている。
清水の有名な羽衣の松も、これぞ松!って感じで曲っている(笑)
しかし松はそう極端に曲りたいわけではなく、風がなければ曲りもしない。
盆栽の松は、それふうに人がわざわざ枝を幹、枝をたわませて形を作っている。
植物は、一旦そこに根を下ろすと動けないため、気候や環境に対応した可塑性(形を変えること)に富んでいる。遺伝子は決まっていても、その環境に適応して生き抜く力を生物は多かれ少なかれ持っている。
このブログは『遺伝子!万才』的なノリのようだが、確かにそのような側面を強調する話しが多いが、もちろん、生物は環境に対応してゆく柔軟性をもっている。
生まれ(遺伝子)で決まるのか、その後の育ち(環境)で決まるのか? 氏か育ちか?
遺伝子も環境もどちらも大事だろ? っていうあなた、ではどちらがどの程度大事だと思う?
それを教えてくれるのが、一卵性双生児である。
下の標は、一卵性双生児(遺伝子型が全く同じ)、二卵性双生児(一緒に産まれた兄弟のようなもの、遺伝子型は異なる)で、どのくらいその形質が一致するかというもの。
一卵性双生児で似ているにもかかわらず、二卵性双生児で差があるものは遺伝子の力が強いと言える(育った環境は同じ筈だから)。
これを見ると身長やIQはかなり遺伝的な寄与が大きい。
これに比べて虚血性心疾患は遺伝的素因が少ない。
この項目に、根気とか、浮気性、性格の項目がもっと欲しいところである。
海岸に生える松は風に吹かれて曲るように、かなり厳しい生活環境で育てられれば、人間不信になりもする。性格はかなり可塑性があろう。
一卵性双生児が別々の環境で育てられたらどれだけ性格が異なるか、それこそWの悲劇等、ドラマで描かれる世界である。
遺伝子をくれたヒトが母ならば、環境も母である。
環境に応じて変化する可塑性があってこその生物と言える。
トランプに例えれば、遺伝子は最初に配られた手札に相当する。
手札は決まっているが、それをどう使うかはプレーヤー次第。
プレーヤーは相手プレーヤー(これが他個体、他生物、環境に相当)の出方で作戦を変える。
生物というのは、決められた手札でいかに勝ち抜くかを競い合っているようなものなのだ。
競い合う相手は同種であったり、異種であったり、異性であったり、同性だったりする。
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