渡来人である弥生人は、先住者であった縄文人とどのように溶け込み混血が進んで行ったのであろうか、、ということも近年のDNA解析で徐々に分かりつつある。
まず、弥生人が朝鮮半島から九州北部に渡ってきたことは、九州北部に弥生系と思われる遺伝子をもつ人が多いことからも裏付けられている。
その後弥生人は日本列島を北上して縄文人との混血が進んで行ったとすると、九州から北に離れたところでは縄文人の遺伝子が色濃く残っていると予想されるが、果たしてそのような結果が遺伝子鑑定から見えている。
沖縄やアイヌの人達は縄文人の両子孫として、その血のつながりは深い。
(D系統が縄文人系統、沖縄と東北に多い)
一方、弥生人が持ち込んだ「わたしお酒飲めないです」遺伝子(アセトアルデヒド脱水素酵素ALDH2遺伝子異常)の分布は、近畿地方が多いことから弥生人が好んで近畿に住み着いた様子が伺われる。渡来系の子孫とされるヤマト朝廷の本拠地が近畿におかれたことからもそれは頷ける。
*弥生人系の特徴は、一重まぶたで顔が何方かと言えば扁平、男性なら体毛が薄い。方や、縄文人は、二重まぶたで顔の彫りが深く、男性なら体毛が濃い。
ただし、稲作に不適切な山間部には弥生人はあまり進出しなかったとみえ、岐阜県でも山間部の飛騨地方には平野部の美濃地方に比べて縄文の遺伝子がより多く残っていることが分かっている。
ではその転校生(弥生人)はどのように縄文人社会に溶け込んで行ったのだろうか?
友好的だったのか、敵対的だったのか?
荒っぽい公園デビューだったのか?
それもDNAが教えてくれる。
(以下次号)
(デビュー以来謎のClariS)
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