2012年11月14日水曜日

弥生人侵攻(2)


人類進化によく使用される遺伝子の指標としてミトコンドリアDNAが使われる。
ミトコンドリアが母系由来するため、ミトコンドリアDNA解析から見えてくる民族形成の歴史は母系の歴史ということになる。

一方、男系継承されるY染色体を調べれば男系の歴史が分かる。

もし弥生人が縄文人を武力で蹂躙しながら北進したとするとその過程で、弥生人の男性が縄文人の女性を蹂躙し自分のものにするようなことがあった筈である。

そのような子孫は弥生系の父のY染色体を持ちつつも縄文系の母のミトコンドリアDNAをもつことになる。


事実、ヨーロッパ人の侵攻があった中南米では、現在の子孫に原住民のミトコンドリアDNAの比率に対して、ヨーロッパ系のY染色体の比率が多い。


しかし、日本ではY染色体とミトコンドリアDNAに関してそのような極端な偏りはなかったことが分かった。

ということは、おおむね、弥生人は縄文人社会に友好的に溶け込んでいったということだ。やれやれ
(承太郎)

ヤマト朝廷の蝦夷討伐という歴史もあるが、これにしても弥生系が縄文系を討伐、というよりは、時の政権が服従しない民を討伐という側面が強い。
その後、壬申の乱から戊辰戦争まで弥生系と縄文系という対立軸で争いは起こっていない。


一方、同じ島国である大ブリテン島(イギリス)はそうなっていない。


イギリスは中央部の大部分がイングランドと呼ばれ、その他、ウェールズとスコットランドに別れて自治も認められている。この区分はそっくり、民族の違いに相当する。


紫部分がケルト人、黄色部分がゲルマン人。

先住者であるケルト人と5世紀に移住してきたゲルマン人は衝突しながら現在まで混じり合うことなく対立してきた。


日本人の弥生人と縄文人が時間をかけて比較的平和裡に混じり合って日本人ができたことは、我々にとっては幸せな歴史と言えよう。


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