2012年7月27日金曜日

働け! ニート

遺伝子DNAこそが生命の本質であり、生物個体はそれを次世代に伝えるためにDNAが開発した乗り物に過ぎない(ドーキンスの「利己的遺伝子」)。

自分が遺伝子の操り人形だと言われて気持ちのいい者はいない。
しかし感情的には受入れられ難くとも、これに反駁するのは難しい。

せいぜい、聖職者になって妻帯せず子供を作らず、俺は遺伝子に打ち克ったぞ!、と叫ぶくらいが関の山(もしくは結婚できずに)。


自然淘汰なり性淘汰は遺伝子そのものにではなく生物個体(つまり、遺伝子型ではなく表現型)にかかってくる。

その時、重要なのは、遺伝子と言っても遺伝子1つでできている生物はいない、という点だ。

生物は遺伝子「達」でできている訳だから、その遺伝子達が「力を合わせて」出来上がっているその生物個体に淘汰圧は降り注ぐ。

その際に、働かないニート遺伝子が生じる危険性が常にある。



今、最低賃金との逆転現象で社会問題になっている生活保護制度。
やっぱり、苦労して働いている人より働かない人に暮らしが保証されているのはどう考えてもまずい。

そのようなニート遺伝子の混入を働いている遺伝子達は排除できるか?
ただ乗りは許されるのか?

その答えは、ここ数回のブログに書いた。

細菌の場合、必要とされない(使われない)遺伝子は早晩ゲノムから退場を余儀なくされる。

常に生物個体にとって役立つ、つまり、ともになって働く遺伝子のみが次世代に伝えられる。

これは、細菌が

①敵に打ち勝つために、増殖速度を常にマックスに保持しなくてはならず、要らない遺伝子が削除されやすい。
②遺伝子を一旦デリートしても、また遺伝子を水辺伝播により必要があれば取り戻せる。

という特徴をもっているため。


一方、真核生物でも、酵母のように①の特徴を有しているものはニート遺伝子(ジャンク遺伝子、偽遺伝子)はほとんどない。

つまり、これらの生物の遺伝子にとって、かつては働いていたとしても、リタイアした後働かず気ままに余生を送れるような余地は皆無といってよい。


しかるに、ヒトはというと、以前ブログで触れたようにニート遺伝子に満ち満ちている(6月15日)。

このままヒトが死に続けていくと地球はお墓ばかりになるという笑えぬ事態になるように、使わない遺伝子が進化の過程で殖えていくと、ゲノムは墓場と化す。


これは、ライフサイクルが長い生物の宿命かもしれない。

生物個体に常に速く増えねば、という強い圧力がかかり続けていない限り、ゲノムからニート遺伝子が除かれる速度が著しく低下する。

ヒトのゲノムはリタイアした遺伝子(ビタミンC合成酵素遺伝子とか)を、働く世代の遺伝子が支え続けなくてはいけないという世代問題の真っ最中なのだ。

晩婚の流れはこの傾向を一層加速する(苦笑)


二次元嫁指向、は遺伝子に打ち克ってる!(子孫に結びつかないから)、とある学生が言っていたが、残念、これは単なる代償行為だね。


(Steins:Gateより、二次元魂を持っているフェイリス)


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