2012年9月23日日曜日

ハプスブルク家とスイス

ヨーロッパ最高の名門のひとつ、ハプスブルク家。

フランス革命で散った悲劇の王妃マリー・アントワネットはハプスブルク家出身



ハプスブルク家はオーストリアの領主というイメージが定着しているが実はスイスの出バーゼル近郊に今も残る「鷹の城(ハビヒツブルク)」。これが訛ってハプスブルクになった。

そのため、ハプスブルク家の紋章には鷹が使われている。



ハプスブルク家は次第に富を蓄積し、近隣の領主の所領を戦争や婚姻や買収によって獲得、勢力を拡大していった。

そしてこ13世紀に神聖ローマ帝国の皇帝にルドルフ一世が選ばれると、競合相手を倒してオーストリアの首都ウイーンに本拠地を移しオーストリアの領主となった

ハプスブルク家は15世紀になると神聖ローマ帝国の皇帝の座を独占することになり、一大大国になるのである。


(ハプスブルク家の版図)

しかし、ナポレオンにより神聖ローマ帝国は崩壊。
その後もハプスブルク家はオーストリア皇帝に居残ったものの、独立運動の激化により1918年にハプスブルク家は亡命し、オーストリアは共和制になった。

戦後、子孫は住み慣れたオーストリアへの帰還を許された。

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