2012年9月25日火曜日

嬰児殺し

殺しの話しが続いてすみません‥‥‥

今回は親による嬰児殺し。

その理由は大きく3つに分類される。

(1)赤ん坊が自分の子供でない場合。
(2)赤ん坊の質に問題がある場合。
(3)子育てに問題がある場合。

(『人が人を殺すとき』より)

現代の先進国では、どんな理由があろうとも子供を殺すのは殺人になる。
そのため、子殺しは日常的ではない。

しかし、我々も刑法が定められる以前には、何万年もの間、子殺しは行われていたであろう。

ここに挙げている例もヒトの原始社会を姿を反映していると思われる狩猟採集生活を送っている人々の社会を調べた結果である。

(1)
当然、多くの社会において妻が不倫をしてその結果産まれた子供は子殺しの対象になる。
男親にとって、自分の子供では子供に投資するいわれは全くない。

ライオンのオスがハーレムを乗っ取った際に、前のオスの子供を殺すのも同じ理由。

(2)
奇形で産まれてきたり、非常に病弱な赤ん坊を捨てたり殺す習慣をもつ社会は多い。
これも我々の現在の通念からしたら非情なことであるが、母親にしても上記の選択はとてもつらいものである。
様々な民族で、奇形児は悪魔が取り憑いた呪われたものと見なされており、そのような子殺しは超自然との戦いと位置づけている。
このような考え方は、母親の子殺しに対する罪悪感を軽減するのに役立つであろう。

両親にとって、子供は自分が投資する対象である。
原始社会では子供の平均出産数は4, 5人程度であることが推定されている。
そのような中で、投資しても見返りが低い(ちゃんと育つ可能性が低い)と思われる赤ちゃんに投資をしないというのは生物学的には正しい。


うー、という内容だ。


ただ、こういう行為を人間が理性で押しとどめようとしていることはせめてもの救いだ。


今日はアニメで茶化さずに終了。

(3)に関しては次回。

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