2013年4月24日水曜日

囚人のジレンマ(2)都会ではなぜ人間関係が殺伐としているか?

昨日「囚人のジレンマ」のつづき

昨日の話は、囚人がこのゲームを一回行うときの振舞い方を考えた。

これは実社会に当てはめて考えると、次に絶対出会いそうもない、利害が一致しない他人と巡り会った際の場合、の話と考えることができる。

囚人だって刑期を終えたら出所する。

自分は裏切らなかったのに相手が裏切った場合には、その相手に復讐することは十分あり得る。

もしそこまで考えていれば怖くて相手を裏切れないだろう。
(「囚人のジレンマ」ゲームでは復讐はないものとして考えている)

ジョジョ第5部
マフィアを相手に裏切る勇気!(・∀・)ノ


大都会に暮らしていると、町で出くわした他人と次にまた出会うことはほとんどない。

つまり、都会の方が、相手を裏切っても(そこまで露骨でなくても、親切にしなくても)自分が次に被害に遭うことは少ないために、つまり、一回こっきりの「囚人のジレンマ」の囚人として、人は振舞う傾向にある。

都会で人間関係が殺伐としているのはそのためである。


しかし、その相手と今後も出会い続ける場合、そう、クラスメートだったり、田舎の近所の人だったりした場合には、相手を裏切るようなことを一度したら、その後、相手がどうでるか分からなくて、そんなことはしにくくなる。

北朝鮮がもし核爆弾をアメリカに向けて一発でも発射しようものなら、アメリカは全力で総攻撃して北朝鮮に復讐し恐らく北朝鮮は壊滅するだろう。

つまり、これは、ゲームが複数回繰返してプレーされる場合の「囚人のジレンマ問題」ということになる。

これを突き詰めると「無限回(いつ終わるか知らされていない)繰返し型の囚人のジレンマ問題」となる。

複雑な数式もあるが(wiki参照)、そのような場合には、生物は他者と協調的に行動する方が得策ということになり、一見利他的行動をとるようになるだろう、ということが直感的に理解できる。

たとえば、雨の降る日に傘を忘れた友達を見つけたらその子に傘を貸してあげる。

そうすれば、次に自分が困っているとき、その子はきっと自分を助けてくれるだろう。

もしその子がそうしなかったら、次の時はその子を助けてやらなければ良い。
もちろん、傘を貸す時にこんな風に理詰めで考えてはいない。

そのように振舞うことが回り回って自分のためになるということを本能で知っていて、そのように行動する。

そう「情けは人の為ならず」。

我々は、そのようにして進化してきた生物の子孫なのだ。


カンタの恋はその後どうなったのでしょうね (^-^)





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