DNAが全てその人間の全てだ、という考えを前提にこの映画(原作は東野圭吾)は作られている。
これは正しいか?
もちろん、正しくない。
DNAから犯人の性格が分かるかというと、敢えて分からないといおう。
それは性格に関しては、後天的に影響を受ける部分が大きいから。
飼い犬は飼い主に似る、という諺はその通りで、
神経質な親に育てられたら、神経質な子供が育ちやすいし、
おおらかな親に育てられたら、おおらかな子供が育ちやすい。
その際に、DNAにどのような影響が及ぼされているかはよく分かっていない。
DNAへの影響、というのはDNAの配列が変わるのではなく、DNAとDNAが巻き付いているヒストンタンパク質がアセチル化やメチル化という修飾が行われている、かどうかということ、
それらの修飾により、遺伝子の発現が異なってくる。
それがエピジェネシスと呼ばれる現象。
持っていても使われないと、その遺伝子はないことになる。
そういうことは普段、よく分化された細胞でみられる。
同じ細胞と言えば、毛母細胞が眼球を作るタンパク質は作っていない。
ただ、全国民のDNA情報があれば犯罪者が摑まりやすくなることはない。
しかし、そういう社会に住みたいか、という問題は別問題である。
刀語、ノイタミナ枠で4月11日から!!
再放送だが再放送かどうかは別問題、面白いものは面白い。