2012年8月10日金曜日

ミトコン(21)できる子、酵母

ミトコンドリアの話題も長くなった。

ミトコンドリア、もういいお、という声が聞えてきそうだ (^ ^;


ニック・レーンの『ミトコンドリアが進化を決めた』(みすず書房)は非常にエキサイティングな書である。

しかし残念なのは、彼がアポトーシスが多細胞生物になって初めて獲得されたとしていることだ(もしくは知らない)。

そのため、アポトーシスがどのようにして進化してきたのかという考察に誤謬がある。

単細胞生物の酵母でアポトーシスが見つかったのは最近の1997年のこと。
とは言え、本が出されたのは2006年。
彼のリサーチ不足か。


モデル生物である出芽酵母はほとんど全ての細胞生物学の分野(種目)に王者として君臨している(五輪での中国のように)。

しかし、長らくアポトーシスは多細胞生物の専売特許のように思われていて(単細胞生物が積極死することの合目性が見出せなかったからであろうが)、酵母でそれを研究しようという試みは活発でなかった。

といういきさつで、アポトーシスに関しては例外的に酵母では研究が遅れて、動物の後追い実験的になっている。

これは、酵母研究者としては屈辱である。

酵母の存在意義は、モデル生物として研究を先行させ「普遍的真理」を発見し、他の生物の研究者に規範を示し後追い実験をさせることなのだから。
(無論、他の生物でも証明されることで普遍的真理となる)。

と、上から目線のなんとも不遜な物言いになってしまっているが、そのくらいの気概がなければモデル生物としての使命は果たせない。


今では、栄養源飢餓時、活性酸素等、DNAダメージのストレスによって酵母がアポトーシスを起こすことが知られている。

そして、そのアポトーシスを起こすそのしくみも動物とよく似ていることが分かった。
酵母にも、カスパーゼ、チトクロムc、endoG、AIF、HtrA2が存在する。
動物と同様に、ミトコンドリアがアポトーシスの鍵を握っている。



(酵母のアポトーシス)


つまり、アポトーシスに関しても単細胞生物がすでに発明していたシステムを多細胞生物がさらにソフィスケートして利用しているというのが真実だ。

ただ、これからは遺伝学的手法が駆使できる酵母でのアポトーシスの研究が加速しよう。
当研究室でも、栄養源飢餓時の酵母アポトーシスに関して研究を行っている。

(できる子、酵母)


それにしても単細胞生物でアポトーシスがなぜ必要なのであろうか?

単細胞生物ではその細胞が死んだら終わりな筈なのに。
と思うのは素人の悲しさ。

酵母は分裂で殖えるため、周りにいる細胞は全て自分と同じである。

酵母のコロニー中の一つの細胞は、多細胞生物における一つの細胞のごとくである。

栄養源飢餓時には、弱った細胞が進んで死ぬことで口減らしにもなるし、死んだ細胞が他の細胞の餌に回り、結局は自分のDNAをより残せるようになる。

それが証拠に、アポトーシスを実行する遺伝子を欠損させた酵母を栄養源飢餓に移すと、最初はアポトーシスが起こりにくくハッピーに見えるが、さらに時間が経つと却って野生株よりも全体の死亡率が殖えてしまう。全員で頑張るとみんなが同時に力尽きて絶滅の憂き目に遭うのだ。

つまり、アポトーシスは単細胞生物が栄養源飢餓等のストレスに際して自らのDNAを効率よく次世代に伝えるために進化の過程で獲得した、と考えられる。この単細胞生物のシステムが多細胞生物のアポトーシスに引継がれたわけだ。


自ら死んで、自らの遺伝子DNAを活かす。これを細胞の献身的な自己犠牲と見做すこともできるだろうが、DNAからしてみたら、細胞も個体も使い捨てなのだから、このくらいの芸当は朝飯前な筈。

ミトコンドリアDNAはこうして、単細胞生物ですでにアポトーシスのシステムを完成させた。

昔は飢饉になると餓死者の屍肉を食べて凌いだ者もあったようだが、人間の場合には自分の周りは遺伝子を共有しない他人だから、自らの命を捧げるわけにはいかない。

もし自ら死んで肉を捧げるとしたら、利己的な遺伝子の考えに則ると、それは自分と遺伝子を共有している近親者になる(しかし、我は死ぬから我が肉を喰らい給え、と言われて父母の肉を食べる子供はいないだろう)。

(xxxHOLiCより、四月一日君、自己犠牲野郎の本領発揮)

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