生物学では、日々新しい真理、原理が分かっている。
生物学は、ヒトとは何か、自分自身とは何か、という深遠な真理を我々が知りたいという究極な欲望に支えられている。
このような時代に生物学を研究できてとてもハッピーだと思うし、是非この現場での興奮をリアルタイムで伝えて、生物学を志す学生を一人でも増やす手伝いを微力ながら果たしたいと思っている。
リチャード・ドーキンスの「利己的遺伝子」理論は、自分のことを紳士淑女と思っている人達の神経を逆撫でして苛立たせたが、真実に限りなく近い理論である。
細胞も生命もこの利己的遺伝子が快適に暮らせるための住居に過ぎない。
ミトコンドリアDNAにとっても、自分のコピーが最大限残せる細胞が居心地のいい良い家ということになる。
自分が細胞から排除されることなぞあってはならない。
しかるに、男性に生まれつくと、そのミトコンドリDNAは精子を介して次世代の子孫に受け継がれることはなくなってしまう。
つまり、ミトコンドリアDNAにとってオスになることはすなわちバッドエンドなのである。
(子供心にバッドエンドを知った)
そうなるとオスになってたまるものか、とミトコンドリアDNAは当然考える。
その結果、ミトコンドリアは個体をなるたけメス化させようとする、と考えられる。
(コードギアス、ミトコンドリアが天下をとったらこの男女比率に)
しかしながら、核ゲノムとしたら子孫を多く残すためには男女比は1:1が望ましい。
実際に、ヒトでも他の動物のほとんども男女比はほぼ1:1。
このことは、ミトコンドリアゲノムの欲望を抑えて、核ゲノムがオスメスの生み分けの主導権を握っていることを示唆する。
しかしその例外が知られている。
(次号に続く)
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